『21世紀の資本』、『21世紀の不平等』等のピケティ旋風

 

21世紀の資本』、『21世紀の不平等』等のピケティ旋風

 

はじめに

2015年1月、トマ・ピケティ『21世紀の資本』の待望の日本語版がついに発売された。昨年春、英語版が発売されるやアメリカで大ベスト・セラーとなり、「ピケティ現象」とまで呼ばれるブームを巻き起こした大著の日本語版である。この700頁、5,900円の本が、日本でもアマゾン売り上げランキングの第1位であった。アメリカでも日本でも、如何に多くの人々が経済格差の拡大を切実な問題だと考え、これに知的関心を惹きつけられているのかを物語っている。

 著者本人も2015年1月に訪日し、3泊4日の滞在中に3カ所でのシンポジウムや日本記者クラブでの記者会見、各種メディアの単独インタビューなどを精力的にこなし、2月1日午後にはパリへトンボ返りという過密スケジュールだった。

 

それは「r>g」=資本収益率(r)は経済成長率(g)を常に上回るというシンプルな不等式で説明される。ザックリ言うと、資本主義社会では土地や株に投資して得られる収益(不労所得)の上昇は、労働によって得られる収益(賃金)の上昇より“常に”大きい。つまり、広大な土地や株を持っている人はそこから得られる賃料や配当だけで働かずに優雅な暮らしができるが、労働者は汗水たらしていくら頑張っても絶対に追いつくことはできない。それどころか、その差は開く一方だという。

 この法則をピケティ氏は世界20カ国以上、過去200年以上の税務当局のデータを15年がかりで集計・分析することで明らかにした。それによると、2つの世界大戦と累進課税の強化によっていったんは縮小した格差が80年代以降に再び拡大し始めた。とくにこの傾向はアメリカで顕著で、上位10%の富裕層が総所得に占めるシェアは、1980年の34%から2012年には50%にまで急上昇して、格差の激しかった第2次世界大戦前の水準をも超えているという。

 

最も楽に勉強したい人は、NHK教育テレビの白熱教室での2915年1月9日~2月13日の6回のシリーズで放映された動画が、動画サイトで見ることができます。

 

1.                                インタビュー記事

その1

 グローバル化に透明性を  展望2015 出典:http://www.nikkei.com/article/DGXKASDF19H05_Z11C14A2MM8000/

パリ経済学校教授 トマ・ピケティ氏 のインタビュー記事

(聞き手はパリ支局 竹内康雄)

 パリ経済学校と仏社会科学高等研究院の教授。「21世紀の資本」(邦訳・みすず書房)が世界的なベストセラーに。43歳。

 

2014/12/22付情報元、日本経済新聞 朝刊

 

 ――所得格差拡大に批判的ですが、経済成長には一定の格差は避けられない面もあります。

 「確かに成長の持続にはインセンティブが必要で格差も生まれる。過去200年の成長と富の歴史を見ると、資本の収益は一国の成長率を上回る。労働収入より資産からの収入が伸びる状況だ。数年なら許容できるが、数十年続くと格差の拡大が社会基盤を揺るがす」

 「日本に顕著だが(成長力の落ちた先進国では)若者の賃金の伸びが低い。第2次大戦後のベビーブーム世代と比べ資産を蓄積するのが非常に難しい。こうした歴史的状況において、中間層の労働収入への課税を少し減らし、高所得者に対する資産課税を拡大するのは合理的な考えだと思う。左翼か右翼かという問題ではなく、歴史の進展に対応した税制のあり方の問題だ」

 ――グローバル化と格差の関係をどう見ていますか。

 「グローバル化そのものはいいことだ。経済が開放され、一段の成長をもたらした。格差拡大を放置する最大のリスクは、多くの人々がグローバル化が自身のためにならないと感じ、極端な国家主義(ナショナリズム)に向かってしまうことだ。欧州では極右勢力などが支持を伸ばしている。外国人労働者を排斥しようとし欧州連合(EU)執行部やドイツなどを非難する」

 ――資産への課税強化で国際協調すべきだと提案していますが、非現実的との指摘もあります。

 「5年前にスイスの銀行の秘密主義が崩れると考えた人はどれほどいただろうか。しかし米政府がスイスの銀行に迫った結果、従来の慣習は打破され透明性が高まった。これは第一歩だ」

 「たとえば、自由貿易協定を進めると同時に、国境を越えたお金のやりとりに関する情報も自動的に交換するような仕組みがつくれるのではないか。タックスヘイブン(租税回避地)に対しても対応がいる。国際協調が難しいことを何もしない言い訳にすべきではないと思う」

 「新興国にとっても2つの意味がある。新興国は(金融の流れが不透明な現状のまま)資本流出が起きれば失うものの方が大きい。中国はロシアのような一部の特権階級にだけ富が集中するような国にならないよう細心の注意が必要だ。中国国内で得た(不正な)利益でロンドンやパリの不動産を買う動きもお金の流れが透明になれば防げる。グローバル化の拡大は歓迎するが透明性を高めるべきだ」

 ――先進国内で格差拡大を嘆く声が出る一方、新興国が成長力を高め世界全体では富が増え格差も縮小しているのでは。

 「アジアやアフリカでは高成長は当面続くだろうが永続しない。歴史的に高成長は他の国に追いつこうとしているときか、日本や欧州のように戦後の再建時にしか起きない。1700年以降、世界の成長率は年平均1.6%で、人口は0.8%だ。成長率が低く見えるかもしれないが、生活水準を向上させるには十分だった」

 ――日本の現状をどう見ますか。

 「財政面で歴史の教訓を言えば、1945年の仏独はGDP比200%の公的債務を抱えていたが、50年には大幅に減った。もちろん債務を返済したわけではなく、物価上昇が要因だ。安倍政権と日銀が物価上昇を起こそうという姿勢は正しい。物価上昇なしに公的債務を減らすのは難しい。2~4%程度の物価上昇を恐れるべきではない。4月の消費増税はいい決断とはいえず、景気後退につながった」

 

 

その2

Thomas Piketty 1971年フランス生まれ。パリ経済学校教授。米マサチューセッツ工科大学助教授などを経て現職。不平等の拡大を歴史データを分析して示した「21世紀の資本」(邦訳、みすず書房)は世界的な話題に。同書より前に著した論文は、金融資本主義に異議を申し立てた米ウォール街でのオキュパイ運動の支えになったともいわれる。論説主幹・大野博人氏によるインタビュー

出典:http://d.hatena.ne.jp/ujikenorio/20150105/p1

失われた平等を求めて 経済学者、トマ・ピケティ教授

 2014年12月31日21時32分朝日デジタルによる

  自由と平等。民主主義の理念のうち、自由がグローバル時代の空気となる一方、平等はしばらく影を潜めていた。だがその間、貧富の差や社会の亀裂は拡大し、人々の不安が高まった。そこに登場したのが大著「21世紀の資本」。不平等の構造をあざやかに描いた著者のトマ・ピケティ教授は「私は悲観していない」という。

 

■競争がすべて?バカバカしい

 ――あまりに富の集中が進んだ社会では、効果的な抑圧装置でもないかぎり革命が起きるだろうと述べています。あらゆる社会は、とりわけ近代的な民主的社会は、不平等を正当化できる理由を必要としています。不平等の歴史は常に政治の歴史です。単に経済の歴史ではありません。その不平等を正そう、それに影響を及ぼそうと多様な制度を導入してきました。その代表例として1789年の人権宣言の第1条を掲げました。美しい宣言です。すべての人間は自由で、権利のうえで平等に生まれる、と絶対の原則を記した後にこうあります。『社会的な差別は、共同の利益に基づくものでなければ設けられない』。つまり不平等が受け入れられるのは、それが社会全体に利益をもたらすときに限られるとしているのです」

 

 ――しかし、その共同の利益が何かについて、意見はなかなか一致しません。

 「エリートや指導層はしばしば欺瞞(ぎまん)的です。だから本では、政治論争や文学作品を紹介しながら社会が不平等をどうとらえてきたかにも触れ、不平等についての経済の歴史というよりむしろ政治の歴史を書きました。すべてが政治と選択される制度によるもので、それられこそが、不平等を増す力と減らす力のどちらが勝つかを決めるのです。」

 

 ――最近は、減らす力が弱まっているのでしょうか。

 「20世紀には、両大戦や大恐慌があって1950、60年代にかけて先進諸国では、不平等の度合いが19世紀と比べてかなり低下しましたが、その後再び上昇しています。先進諸国には、かなり平等な社会を保障するための税制があり、このモデルは今も機能しています。しかし、それは私たちが想像しているよりもろいもので、自然の流れに任せていては、不平等の進行が止まり、一定のレベルで安定するということはありません。適切な政策、税制等の公的な仕組みが必要です。」

 

 ――その手段として資産への累進課税と社会的国家を提案していますね。社会的国家とは福祉国家のことですか。

 「福祉国家よりももう少し広い意味です。福祉国家というと、年金、健康保険、失業手当の制度を備えた国を意味するけれど、社会的国家は、教育にも積極的にかかわる国です

 

 ――教育は不平等解消のためのカギとなる仕組みのはずです。

 「教育への投資で、国と国、国内の各階層間の収斂(しゅうれん)を促し不平等を減らすことができるというのはその通り。そのためには(出自によらない)能力主義はとても大事だとだれもが口では言いますが、実際はそうなっていません」

 「米ハーバード大学で学ぶエリート学生の親の平均収入は、米国の最富裕層2%と一致します。フランスのパリ政治学院というエリート校では9%。米国だけでなく、もっと授業料の安い欧州や日本でも同じくらい不平等です

 

 ――競争が本質のような資本主義と平等や民主主義は両立しにくいのでしょうか。

 「両立可能です。ただしその条件は、何でもかんでも競争だというイデオロギーから抜け出すこと。欧州統合はモノやカネの自由な流通、完全な競争があれば、すべての問題は解決するという考えに基づいていた。バカバカしい

 「たとえばドイツの自動車メーカーでは労組が役員会で発言権を持っています。けれどもそれはよい車をつくるのを妨げてはいない。権限の民主的な共有は経済的効率にもいいかもしれない。民主主義や平等は効率とも矛盾しないのです。危険なのは資本主義が制御不能になることです」

 

■国境超え、税制上の公正を

 ――税制にしろ社会政策にしろ、国民国家という土台がしっかりしていてこそ機能します。国民国家が相対化されるグローバル時代にはますます難しいのでは。

 「今日、不平等を減らすために私たちが取り組むべき挑戦は、かつてより難しくなっています。グローバル化に合わせて、国境を超えたレベルで税制上の公正を達成しなければなりません。世界経済に対して各国は徐々に小さな存在になっています。いっしょに意思決定をしなければならない」

 

 ――しかもそれを民主的に進める必要があります。

 「たやすいことではありません。民主主義の運営は、欧州全体という大きな規模の社会よりも、デンマークのような500万人くらいの国での方が容易です。今日の大きな課題は、いかにして国境を超える規模の政治共同体を組織するかという点にあります

 

 ――可能でしょうか。

 「たとえば欧州連合(EU)。仏独が戦争をやめ、28カ国の5億人が共通の制度のもとで暮らす。そしてそのうちの3億人が通貨を共有する。ユートピア的です

 

 ――しかし、あまりうまくいっているようには見えません。

 「ユーロ圏でいうと、18の異なった公的債務に、18の異なった金利と18の異なった税制。国家なき通貨は危なっかしいユートピアです。だから、それらも共通化しなければなりません」

 

 ――しかし、グローバル化と裏腹に多くの国や社会がナショナリズムにこもる傾向が顕著です。

 「ただ、世界にはたくさんの協力体制があります。たとえば温室効果ガスの削減では、欧州諸国は20年前と比べるとかなり減らしました。たしかにまだ不十分。けれど同時に、協力の可能性も示してもいます」

 

 ――あなたは楽観主義者ですね。

 「こんな本を書くのは楽観主義の行為でしょう。私が試みたのは、経済的な知識の民主化。知識の共有、民主的な熟議、経済問題のコントロール、市民の民主的な主権、それらによってよりよい解決にたどり着けると考えます

 

■民間資産への累進課税、日本こそ徹底しやすい

 ――先進国が抱える巨大な借金も再分配を難しくし、社会の不平等を進めかねません。

 

 「欧州でも日本でも忘れられがちなことがある。それは民間資産の巨大な蓄積です。日欧とも対国内総生産(GDP)比で増え続けている。私たちはかつてないほど裕福なのです。貧しいのは政府。解決に必要なのは仕組みです」

 「国の借金がGDPの200%だとしても、日本の場合、それはそのまま民間の富に一致します。対外債務ではないのです。また日本の民間資本、民間資産は70年代にはGDPの2、3倍だったけれど、この数十年で6、7倍に増えています

 

 ――財政を健全化するための方法はあるということですね。

 「日本は欧州各国より大規模で経済的にはしっかりまとまっています。一つの税制、財政、社会、教育政策を持つことは欧州より簡単です。だから、日本はもっと公正で累進的な税制、社会政策を持とうと決めることができます。そのために世界政府ができるのを待つ必要もないし、完璧な国際協力を待つ必要もない。日本の政府は消費税を永遠に上げ続けるようにだれからも強制されていない。つまり、もっと累進的な税制にすることは可能なのです

 

 ――ほかに解決方法は?

 「仏独は第2次大戦が終わったとき、GDPの200%ほどの借金を抱えていました。けれども、それが1950年にはほとんど消えた。その間に何が起きたか。当然、ちゃんと返したわけではない。債権放棄とインフレです」

 「インフレは公的債務を早く減らします。しかしそれは少しばかり野蛮なやりかたです。つつましい暮らしをしている人たちに打撃をもたらすからです

 

 ――デフレに苦しむ日本はインフレを起こそうとしています。

 「グローバル経済の中でできるかどうか。円やユーロをどんどん刷って、不動産や株の値をつり上げてバブルをつくる。それはよい方向とは思えません。特定のグループを大もうけさせることにはなっても、それが必ずしもよいグループではないからです。インフレ率を上昇させる唯一のやり方は、給料とくに公務員の給料を5%上げることでしょう」

 

 ――それは政策としては難しそうです。

 「私は、もっとよい方法は日本でも欧州でも民間資産への累進課税だと思います。それは実際にはインフレと同じ効果を発揮しますが、いわばインフレの文明化された形なのです。負担をもっとうまく再分配できますから。たとえば、50万ユーロ(約7千万円)までの資産に対しては0・1%、50万から100万ユーロまでなら1%という具合。資産は集中していて20万ユーロ以下の人たちは大した資産を持っていない。だから、何も失うことがない。ほとんど丸ごと守られます」

 

■取材を終えて 論説主幹・大野博人

  同氏は資本主義もグローバル化も成長も肯定する平等についても、結果の平等を求めているわけではないただ、不平等が進みすぎると、公正な社会の土台を脅かす、と警告する。そして、平等を確保するうえで必要なのは、政治であり民主主義だと強調する。政治家や市民が意識して取り組まなければ解決しない、というわけだ。

  財政赤字の解決策としてインフレと累進税制との比較では、インフレ期待は、いわば市場任せ。それに対して累進税制も民間の資金を取り込むという点では同じだが、だれがどう払うのが公正か、自分たちで議論して考えるという点で、「文明化された」インフレだという。つまり、自分たちの社会の行方は、市場や時代の流れではなく自分たちで決める。「文明化」とはそういうことも指すのだろう。

 「不平等」という言葉が民主的な社会の土台への脅威であること、そして、その解決を担うのが政治であり民主的な社会であるのだ。

 

 

2.吾輩が気が付いた、本書についての論評等を、無作為にご披露します。

最初にご紹介したいのは、2014年 3月28付けの ワシントンポストのオピニオン記事:トーマスPikettyによる「21世紀の資本」 です。

で紹介している、日本人の論評よりは、より総括的で、客観的で、我々一般人向けであるようなので翻訳してみました。

 

http://translate.google.co.uk/translate?hl=ja&sl=en&tl=ja&u=http%3A%2F%2Fwww.washingtonpost.com%2Fopinions%2Fcapital-in-the-twenty-first-century-by-thomas-piketty%2F2014%2F03%2F28%2Fea75727a-a87a-11e3-8599-ce7295b6851c_story.html

スティーブン・パールスタイン( ワシントンポストのビジネスと経済コラムニスト、ジョージ·メイソン大学の公共·国際問題ロビンソンの教授です。)による、

あなたがカール·マルクスは最終的にすべての政治的·経済的妥当性を失ったと思ったちょうどその時、鮮やかなフランスの経済学者が、マルクスのミスの多くを補正し、以降の経験に照らして彼の分析を更新し、資本主義の固有の、自己破壊的な矛盾についての理論をサポートするための近代的な経済データの恵みを発掘しながら、ドイツの哲学者が止めたところをピックアップしようとしているのです。

 

その経済学者は、カリフォルニア大学バークレー校のエマニュエル·サエスと一緒に最近所得格差についての議論をターボチャージャー装備しているトーマスPiketty、経済学のパリの学校の教授です。  Pikettyとサエスは他の皆から引き離さている大金持ちはどのくらいどれくらいいるのかを明らかにしながら、過去30年にわたって停滞している中産階級の所得の物語を確認するデータを納税申告書から収集しました。その権威ある掃引と野心では、Pikettyの最新作、「21世紀の資本論」は、明らかにマルクスの「資本論」の模範に合わせています。しかし、マルクスの研究が熱を上げたところで、Pikettyのは驚異的である。 マルクスはユートピアプロレタリアートの楽園につながる資本主義の崩壊を予見しており、Pikettyは低成長の未来と、富者―資本の所有者が –世界的な富と所得の着実大きなシェアを占める金ぴか時代の格差をみています。

 「共産主義と資本主義の衝突は、歴史家、経済学者、さらには哲学者による資本と不平等に関する研究を刺激するよりもむしろ内容の無いものにしました。」とPikettyは書いている。

 

資本主義の性質の統一理論の探求は最も初期の政治経済学者で始まった。 牧師トーマス·マルサスは、人類の歴史の多くの場合にそうであったのと同様に、人口増加が、人類の大部分を、悲惨と貧困の中に閉じ込め、維持することを理論化しました。 デヴィッド·リカードは、土地の固定量の値が他の財の拡大供給に応じて上昇するので、地主階級の破滅的な競争が、富をどんどん少ない者に集中させながら、賃金を、自給自足のレベルと投資リターンをゼロに必然的に持ってゆくであろうと予測しました。

 

我々は今、いかなるこれらの決定論者の理論も予測することができなかったことが、社会が彼らが想像した地獄の未来から脱出することを可能にする新しい技術によってもたらされる生産性の爆発であったことを知っています。 しかしPikettyは、数世紀前に戻ってのデータの印象的な配列を整理しながら、資本主義の基礎にあるメカニズムが再び自分自身を主張し、再び可能性があると主張している「根本的に民主主義社会の基礎となる能力主義の価値を劇的に弱体化させる恣意的で持続不可能な不平等を作り出していると論じました。

 

 Pikettyの言っていることでは、不平等に向けた資本主義の自然な流れを逆にすることができた1930年と1975年の間の唯一の固有の状況だった。 このような状況は、その全てが富の膨大な量を破壊するために共謀された世界的な不況と債務を燃料とした不況の発生であった、2度の世界大戦を含んでいました。 それらの年は、発展途上国に最新の技術を広げながら、意識的に所得や経済力を再配分することを開始した政府の経済政策が幕を開けました。 世界の大部分での経済生産の急速な成長は、継承された富の重要性を減らし、自らの富による広大な新しいグローバルな中産階級作り出しました。

経済学者サイモン·クズネッツ―GDPの会計の父―が、- 国は開発のさまざまな段階を動いたように、家計所得は、最終的により平等になるという考えを提唱したのは、”黄金時代”の絶頂の時であった。 しかしPikettyは、そのケースを、「クズネッツ曲線」は、アメリカ人やヨーロッパ人が途上国を資本主義の内側に連れてくるために言われたおとぎ話にすぎなかったと説明しています。インフレと人口増加が、1970年代に先進国で鈍化し始め、経済成長がより正常なレベルに戻ったとしたら、富と所得の不平等に向けた資本主義の自然な傾向は、再びそれを主張し始めました。

 

低成長と極端な不平等の21世紀のPikettyの予測は、過去のデータと簡単な式に基づいています。彼はいくつかの国で様々な協力者で組み立てたそのデータは、長期間にわたって一人当たりの生産―生産性 – -が1から1.5パーセントの平均で成長する傾向があることを示している。 データはまた、長期間にわたっての投資の平均リターンが4および5%の間の範囲であることを示している。

 

これら2つの歴史的傾向の問題点は、金融資本収益(投資)が長期の人的資本(生産性)のリターンよりも高いときはいつでも、それは拡大している不平等が結果として起こるであろうとの単純な算術の問題であるということであるとPikettyが説明しています。 その理由:最高所得者は、彼らが離れて給与のみに頼るものから引くことを彼らに出来るように資本所得を生成しながら、貯蓄して投資する。 この蓄積し、蓄積された富が経済の支配的要因と社会的·政治的構造になるまでに、それは数世代しか必要としません。

実際、Pikettyによると、データは、富と所得の両方の分布の不平等は、1900の階級に縛られたヨーロッパのそれを上回る米国ですでに起こっていることを示している。

そのアメリカの物語の一部を、所得の上位1%の大部分を構成する企業の幹部やウォールSreetの金融業者のための賃金の高騰を反映しているとPiketty書いています。  Pikettyがそれを見ているように、彼らの高騰補償が十分に優れた教育や性能によって簡単に説明出来ないだけでなく、上位1%が彼らの本当の経済的貢献よりもずっと多くを抽出することを可能にする不完全な競争力の労働と製品の市場を反映しているのです。

金持ちは、Pikettyによると、彼らは中流階級の貯蓄者よりも高いリターンを獲得することができ、最高の投資、ヘッジファンドマネージャーへのアクセスを持ちながら、自分達の貯金でより多くのリスクを取る立場にあると述べています。 そして中産階級セイバーズとは異なり、彼らは毎年、その投資収益をそれを使うよりも再投資する可能性が高いようです。 複利の魔法でそれらの平均より高いリターンを組み合わせて、あなたは、固定した階級構造がどのように確立し始めることができるかをわかり始めます。

実際、Pikettyが彼の仕事にもたらしたより楽しいタッチの1つは、彼が蓄積した資本の基盤の上に構築された厳密に階層化し、社会の経済性を示すために、オノレ·ド·バルザック、ジェーン·オースティンやヘンリー·ジェイムズの小説に描く方法なのです。 しかし、これらの文学の進出は、過去二世紀にわたるフランスとイギリスの相続の大きさや流れに信じられないほど詳細なデータによって支えられているとされています。  Pikettyこの履歴情報になり創造的な使用は、彼がそれを収集する際にやった骨の折れる作業と同じくらい印象的です。

 Pikettyの散文が明確で説得力のあるアーサーGoldhammerによる平易な英語にartrfully翻訳されているが、これは一般の読者ではない経済学者をより狙いとした本なのです。 テキストの577ページと脚注の75ページで、それは常にうるさいほどの繰り返しです。  Piketty経済の歴史の中でマイナーなクロスカントリー差の退屈な説明にあまりにも多くの時間を費やしているいっぽうで、このようなインフレや、現在のユーロ危機などについて長い説明は、彼の中心的なテーマに少ししか追加していません。 マルクスと同様に、彼はより鋭い筆を持つ編集者の恩恵を受けているでしょう。

        

結局、過去のPikettyの分析は、彼の将来予測が説得力があるというよりもより印象的なのです。彼は、適切な良好な投資機会を探してそんなに多くの資本の蓄積が、どのようにして、経済理論が示唆するように、徐々に、投資収益を押し下げないのかを説明していません。 そして彼の前の壮大な理論家のように、彼もあまりにも簡単に、生産の平均を上回る成長率と平均所得の別の延長期間の到来を告げることができる技術によって誘発される生産性の爆発の可能性を否定しています。「もし人々が本当により公正かつ合理的な社会秩序に基づくことを希望したいとしたら、技術革新の空想を頼りにするのは十分ではありません。」と彼は警告しています。

 

また、不動産や国債は資本の主な形だった19世紀とは異なり、それが現代のグローバル経済の中で富の大部分を発生させるリスクの高い資産- より迅速な技術の変化またはグローバルな競争の結果として、価値を失う可能性がある資産なのです。

低成長と極端な不平等の未来を回避する唯一の方法は、没収とも言えるほどの課税を通じてであることを、ピケテイが断言しているので、それは明らかではありません。 彼の処方は、80パーセントと高いプログレッシブ所得税率と最大2%の世界の年間富裕税の組み合わせである。やはり 彼が認めているように、「黄金時代」は、法律、規制、税金、その他の企業力についての規制の間での複雑な相互作用のゆえに、黄金であったのです。もし、不平等が許容できないレベルに直面したら、なぜ将来の民主主義社会は、資本主義に対する構造的規制と同様のセットを処方することができないのでしょうか、あるいはしようとしないのでしょうか?

 

しかしながら、すべての欠陥にもかかわらず、Pikettyの「21世紀の資本」は、知的力作で、近年の経済学の専門家を支配するようになってきた理論的、数学的モデリングへの経済史の勝利である。Pikettyは人的資本が金融資本を支配することの必然的なものは何もないこと、資本主義の力学には、本来的に、所得、富と機会の不平等に向けての自然にそして不安定化の傾向が存在するといった、タイムリーかつよく筋の通った注意を喚起しているのです。

 

 

以下は、日本人の学者等の論評です。順不同で他意はありません。

 

①   21世紀の資本主義に求められるもの

搾取のない、弱肉強食一辺倒ではない経済への跳躍

浜矩子

2015年01月01日

 21世紀の資本主義とはなんぞや。この壮大なテーマに挑むべく、あれこれ探索作業をしていたら、三人の人々の三つの発言に出会った。まずは、それらを列記させて頂く。

 発言その一、「帝国主義とは、資本主義の独占段階をいう」

 その二、「戦争とは、むき出しの資本主義にほかならない」

 その三、「市場とは何か。そこにあるのはジャングルのルールであり、自然の力学だ。そして、文明とは、まさしくそのような自然の力との闘争にほかならない」

 この三人、皆さんは果たしてどんな顔ぶれだとお考えになるだろうか。お正月向けのクイズと洒落込みたいところだが、そうもいかない。そこで正解を申し上げてしまえば、次の通りだ。

 第一発言者は、かのレーニン大先生である。これについては、正解を思い浮かべられた方がかなり多いかもしれない。

 第二発言はトム・ストパード氏のものだ。演劇好きの皆さんは彼をご存知だろう。イギリスの劇作家だ。彼の「コースト・オブ・ユートピア~ユートピアの岸で~」が2009年に日本で初演され、大いに話題を呼んだ。三部作もので、一気に上演すれば9時間かかる。この9時間通し公演が敢行され、演じる方はもとより、観る方も大いに達成感を味わったものだ。

 第三発言者は、元フランス首相のエドワール・バラドゥールだ。現役時代に上記の一節を語った。

 21世紀の現状を思う時、レーニンとストパードの言葉が認識の奥底に突き刺さる。なぜなら、21世紀は資本主義の危機の時代だと思うからである。危機に瀕すると、人は自己防衛のために攻撃的になる。資本主義の担い手たちが、今、まさにその状態に陥っている。そのように思えるのである。

 グローバル化の進展の中で、資本主義が上手く機能しなくなっている。何とか、この危機を乗り越えたい。再び、資本主義的な余剰価値創造の原理が順当に作動する状態を復元したい。そのためには、早く独占段階にたどり着かなければならない。資本主義の担い手たちのこのような焦りが、政治を復古調の国家主義の方向に追い立てている。

 だから、ロシア帝国を取り戻したがったり、大日本帝国を取り戻したがる政治家たちが、舞台中央に踊り出て来る。我々は、そのような時代環境に当面させられている。そういうことなのではないか。

 帝国主義的野望を抱く者たちは、おのずと好戦的になる。その意味で、ストパード氏の言い方は実に鋭い。資本主義が本気でその生存本能を丸出しにした時、そこに戦争が勃発する。戦争は、追い詰められた臆病者たちの開き直りだ。彼らが破れかぶれで失地挽回を図る時、戦争が起こる。

 然らば、21世紀の資本主義はなぜ、危機に瀕しているのか。この問いかけに対する答えが、バラドゥール発言だと思う。我々皆、いまや、グローバル・ジャングルの住人たちだ。そこでは、国境を越えた淘汰の論理が情け容赦なく働く。

 その論理は、実は資本主義的な生産構造と経済秩序を壊す方向性をもっている。この点は、存外に見落とされがちだと思う。世の中では、しばしば、資本主義という言葉と、市場原理主義あるいは新自由主義という言葉がいずれも同義であるかのごとき言い方がされる。だが、思えば、これは大いなる誤解かもしれない。

 実際問題として、「資本論」の生みの親であるカール・マルクスは、自由貿易の信奉者だった。なぜなら、彼は自由貿易には資本主義を破壊する力が内包されているとみた。自由貿易の原理が貫かれれば、資本主義的秩序は突き崩され、社会主義革命の到来が早まる。その限りにおいて、自分は自由貿易の支持者である。そうマルクス先生は宣言している。(1848年1月9日講演「自由貿易問題について」)

 市場のジャングル的論理が、資本主義の人為的搾取の構図を突き崩す。これはなかなか面白いイメージだ。こう考えて来ると、21世紀の資本主義に課せられた課題が見えて来る。

 端的にいって、それは「超えること」だと思う。何を超えるのか。

 第一に、従来型の資本主義の論理を超える。第二に、ジャングルの淘汰の力学を超える。資本主義でありながら、搾取しない。ジャングルでありながら、弱肉強食一辺倒ではない。そんな「超越」を達成する知恵。それこそが、21世紀の資本主義に求められているのではないのか。

 

 

⓶ トマ・ピケティ『21世紀の資本論』の衝撃

 労働分配率が安定しているという「自明のテーゼ」に正面から挑戦

吉松崇

2014年05月22日

  43歳の無名のフランス人経済学者トマ・ピケティ(Thomas Piketty) が、アメリカで一大センセーションを巻き起こしている。

 この3月に、この人の著書の英語版が出版され(”Capital in the Twenty-First Century”)、これをポール・クルーグマンやジョセフ・スティグリッツ、さらには経済成長論の大御所、ロバート・ソローといったノーベル賞クラスの著名な経済学者がこぞって絶賛して、今や大ベストセラーとなっている。辛辣な批評で知られるクルーグマンが、「彼の知性が羨ましい」とまで書いたのだから、大騒ぎになるのも当然かもしれない。

  なお、この3人の経済学者は政治的には明らかに民主党系のリベラル派だが、共和党系の経済学者、例えばグレゴリー・マンキューやケネス・ロゴフ(ともにハーバード大学教授)もこの本の経済分析を高く評価している。

  何がそんなに凄いのか? ここでは、主にポール・クルーグマンの書評に依拠しながら説明したい。

(“Why We’re in a New Gilded Age” by Paul Krugman, The New York Review of Books, May 8, 2014)

http://www.nybooks.com/articles/archives/2014/may/08/thomas-piketty-new-gilded-age/

労働者窮乏化時代の到来

 現代の経済学で、ほとんどの学者が自明であると考えていることの一つに「労働分配率が長期的に安定している」というテーゼがある。例えば、ある国の経済活動が生む全付加価値(GDPとして計測される)に対する生産要素ごと、つまり、資本と労働の各々への分配率を見ると、殆どの国では「資本の取り分が1/3、労働の取り分が2/3、となっておりこれが長期にわたり安定している」というものだ。

 事実、GDP統計が整備されて以来、この労働と資本の間の2対1という付加価値の分配率は安定して観測されてきたように見える。但し、GDP統計が整備されて多くの先進国で同じ基準の統計が作られるようになったのは第二次世界大戦のあとである。つまり、この自明であるとみなされて来たテーゼの観測期間は、せいぜい20世紀後半以降ということになる。

 ピケティのこの本が凄いのは、この労働分配率が安定しているという「自明のテーゼ」に正面から挑戦している点にある。ピケティは歴史を遡って、アメリカとイギリスについては20世紀初頭、フランスについては19世紀の後半からの経済史を新たな統計で書き直した、と言える。もちろん、ここまで歴史を遡るとGDP統計は存在しない。彼はそこを、国庫の税金徴収データから計算し直して資本と労働の分配率に至る、という統計処理のイノベーションで補ったのだ。

  その分析の結論は衝撃的である。 「長期的には労働分配率は安定していない。資本主義経済の定常状態では、資本の取り分が趨勢的に上昇し、労働の取り分は趨勢的に低下している。この関係が壊れたのは、二つの世界大戦の戦間期と戦後の復興期(1945~1970年)であり、その理由は、戦争による資本の物理的破壊と、戦時中と戦後の労働力不足である。

  資本主義経済が定常状態に回帰した1970年以降は、第一次世界大戦以前、つまり1910年までの経済社会で観測された事象と同じことが起きている。それは、資本の取り分の上昇による富者への更なる富の集中と、労働者の窮乏化である。」 まさに『21世紀の資本論』である。

 

“r > g”の意味するもの

  以上の話を別の言葉で言い換えると、「長期的・趨勢的には、資本の収益率(r)が経済成長率(g)を上回っている」ということになる。 ”r > g” と数式で表現しても良い。

  そしてこれも、経済成長論の常識に反している。資本市場も労働市場もある程度競争的であることを前提にすると、その一方が、つまり資本が労働を犠牲にして、趨勢的にそのリターンを高めることができる、とは考えられない。だから、教科書的な通説は「長期的には r = g である」ということになる。

 

 長期的に r > g であるというのは、資本家や企業が労働市場で寡占的に行動していると仮定しないと、説明がつかない。だが、労働市場は全体としては広大な市場である。寡占行動という仮定は、常識的には無理があるように思える。もっと良い説明はないのだろうか?

  ケネス・ロゴフは、ピケティの経済史理解への貢献を認めつつも、「長期的・趨勢的にr > g である、という結論が導かれる理由は、ピケティが扱う対象が先進国に偏っているためではないか?」と指摘する。

   「ピケティの分析は正しい。但し、この素晴らしい本が扱っているのは、1国の中での(それも先進国の各々1国の中での)富の分配問題であることを忘れてはならない。ピケティが、格差が拡大したと指摘する1970年以降、とりわけアジアの発展途上国でどれほど多数の人々が貧困状態から脱することが出来たのか? 先進国で格差が拡大したのも、グローバルに格差が縮小したのも、まったく同じ資本主義市場経済の作用である」

(“Is inequality getting better or worse?” by Kenneth Rogoff, May 13, 2014)

http://forumblog.org/2014/05/piketty-inequality-capitalism-twenty-first-century/

 

  つまり、ロゴフは「先進国だけを見れば r > g だが、グローバルには r = g ではないのか」といっているのだ。この指摘はおそらく正しい。資本は容易に国境をまたいで活動することが出来るが、労働はそう簡単に国境を越えられない。アジアでより安価な労働力が確保できるようになると、先進国の企業が現地に進出して、ホスト・カントリーは高い経済成長を達成し、貧困から脱することができる。ロゴフが指摘するとおり、グローバルには確かに格差が縮小している、と言えよう。

 

先進国は格差の拡大に耐えられるか

 考えてみると、ピケティが指摘する較差拡大の時代、第一次世界大戦以前の金本位制の時代と1970年以降の変動相場制の時代の共通項は、国境を越える自由な資本移動であり、つまりグローバリゼーションの時代である。この最初のグローバリゼーションで経済のテイク・オフに成功した当時の途上国がアメリカ・ドイツ・日本であり、現在その立場にあるのがアジアの諸国である。

 だが、しかし、そもそもピケティのこの著書がセンセーションを起こすということ自体、アメリカに典型的に現れているように、先進国で格差の問題が深刻度を増していることの証左である。グローバルに格差が縮小しても、資本が国境をまたいで活動しても、政治は国境の内側で動いている。問題は、先進国の政治が、格差の拡大にどこまで耐えられるのか、ということだ。

 

 

③   トマ・ピケティ『21世紀の資本』の甘さ

 マルクスとは異質な発想、ぼやけた資本主義の構造的問題

佐藤優

2015年01月01日

  世界的規模で大きな話題になっているフランスの経済学者トマ・ピケティの『21世紀の資本』(みすず書房)が翻訳し、上梓された。山形浩生、守岡桜、森本正史3氏による訳文がこなれているので読みやすい。

  原書がフランス語で、邦訳が英訳からなされていることを批判する人がいるが、このような批判は的外れだ。『21世紀の資本』は、フランス語版オリジナルではなく、英訳がベストセラーになった。世界的規模で現実に影響を与えている英語版から翻訳するというのは正しい姿勢だ。

 本書の特徴は2箇所にある。

  第1は、比較的簡単な道具立てで、ビッグデータを処理し、過去200年の資本主義が格差を拡大する傾向にあることを実証することである(ただし、二度の世界大戦期を除く)。

  第2は、資本主義の行き詰まりを解消するためには、国家が介入し、資本税を徴収することが所与の条件下では最も効率的であるということを説得することである。

  ピケティ自身は、自覚的でないが、資本税の導入が「認識を導く関心」になって、本書の記述は勧められている。

  第1の、比較的簡単な道具立てとは、資本主義の2つの基本法則(作業仮説)を前提に記述を進めていることだ。

 

<資本主義の第一基本法則――α=r×β

 

 これで資本主義の第一基本法則を提示できる。これは資本ストックを、資本からの所得フローと結びつけるものだ。資本/所得比率βは、国民所得の中で資本からの所得の占める割合(αで表す)と単純な関係を持っており、以下の式で表される。

 α=r×β

 ここでrは資本収益率だ。

 たとえば、β=600%でr=5%ならば、α=r×β=30%となる。

 言い換えると、国富が国民所得6年分で、資本収益率が年5パーセントなら、国民所得における資本のシェアは30パーセントということだ。

 α=r×βという式は純粋な会計上の恒等式だ。定義により、歴史のあらゆる時点の社会に当てはまる。トートロジーめいてはいるが、それでもこれは資本主義の第一基本法則だと言える。というのも、これは資本主義システムを分析するための三つの最重要概念の間にある、単純で明解な関係を表現したものだからだ。その三つの最重要概念とは、資本/所得比率、所得の中の資本シェア、資本収益率だ>(56頁)

 

 ピケティは、資本をストックすなわち、<ある時点で所有されている富の総額(総財産)に対応する>(54頁)と規定し、所得をフロー、すなわち<ある期間(通常は1年)の間に生産され分配された財の量に対応する>(54頁)と規定する。

 

 さらに長期的視座から、貯蓄率と成長率を加味することによって、もう一つの資本主義の基本法則(作業仮説)が存在することになる。

 

<資本主義の第二基本法則――β=s/g

 

 長期的には、資本/所得比率βは、貯蓄率s、成長率gと以下の方程式で示される単純明快な関係をもつ。

 

 β=s/g

 たとえばs=12%、g=20%ならβ=s/g=600%となる。

 つまり、毎年国民所得の12%を蓄え、国民所得の成長率が年2パーセントの国では、長期的には資本/所得比率は600パーセントになる。この国は、国民所得の6年分に相当する資本を蓄積することになる。

 資本主義の第二法則ともいえるこの公式は、当然ではあるが重要なことを示している。たくさん蓄えて、ゆっくり成長する国は、長期的には(所得に比べて)莫大な資本ストックを蓄積し、それが社会構造と富の分配に大きな影響を与えるということだ。

 別の言い方をしよう。ほとんど停滞した社会では、過去に蓄積された富が、異様なほどの重要性を確実に持つようになる。

 だから21世紀の資本/所得比率が、18、19世紀の水準に並ぶほど構造的に高い水準になってしまうのは、低成長時代に復帰したせいだと言える。だから成長――特に人口増加――の鈍化こそが、資本が復活をとげた原因だ。

 基本的な点は、成長率のわずかなちがいでも長期的には資本/所得比率に大きな影響を及ぼすということだ>(173、175頁)

  成熟した資本主義は、低成長が基調である。従って、資本収益率が産出と所得の成長率を上回るようになる。そのため、資本主義は自動的に、恣意的で持続不可能な格差を生み出すというのがピケティの結論だ。

 ピケティは、経済学者として、事態を純粋に観察するという姿勢を取らない。政治経済学者として、問題を解決することに強い関心がある。

 ピケティが重要な処方箋として提示しているのが資本税の導入だ。資本税によって、富の公平配分を実施することを考えている。

 <中心となる問題は次のように問い直せる。累進所得税が存在し、ほとんどの国では累進的な相続税もある以上、累進資本税の目的とは何だろうか?  実は、これら三つの累進課税はそれぞれ別の、相補的な役割を来たす。どれも理想的な税制における不可欠の柱なのだ。資本課税を正当化する理由としては、二つのちがったものがある。貢献的な理由と、インセンティブ面での理由だ。

 貢献の論理はかなり単純だ。所得というのはしばしば、きわめて裕福な個人にとってはあまりしっかり定義された概念ではない。だから金持ちの貢献能力をきちんと評価できるのは、資本の直接課税だけなのだ。具体的に言うと、100億ユーロの財産を持つ人物を考えてほしい。『フォーブス』ランキングの検討で見た通り、この規模の財産は過去30年でかなり急速に増え、最も裕福な個人(たとえばリリアンヌ・ベタンクールやビル・ゲイツ)にとっての実質成長率は、年6-7パーセントかそれ以上だ。定義からして、これは経済的な意味での所得(配当、キャピタル・ゲインなど、消費や資本ストック増加のための資金を捻出できる各種新リソースを含む)が、少なくともその人の資本の6-7パーセントになったということだ(そのほとんどが消費されなかったと想定している)。話を単純にするため、その人物が財産100億ユーロ5パーセントに相当する経済所得を享受したとしよう。すると年に5億ユーロだ。 こんな人物が所得税申告で自己申告される最大の所得は、数千万ドル、数千万ユーロを超えることはほとんどない。ロレアルの相続人であり、フランスで最も裕福な人物であるリリアンヌ・ペタンクールの例を見よう。新聞に公開された情報とベタンクール自身が明かした情報によれば、彼女の申告所得は年500万ユーロを超えたことがない。これは彼女の富(現在では300億ユーロ以上)の1万分の1強でしかない。個別事例の不確実性はあるが(これはあまり重要ではない)、こうした事例で税金のために申告された所得は、納税者の100分の1以下なのだ。

 ここで重要な点は、脱税も未申告のスイス銀行口座もここには登場しないということだ(少なくとも私たちの知るかぎりでは)。 きわめて洗練された趣味とエレガンスを持ち合わせた人物ですら、当座費用として年5億ユーロなどなかなか使いきれるものではない。通常は、配当金(またはその他の支払い)数百万ユーロを毎年受け取り、資本からの収益の残りは一家の信託基金や、その他この規模の財産を管理するという目的のためだけに作られたその場しのぎの法人に積み立てて、それを大学の資金運用と同じ形で運用してもらうことになる。

 これはまったく合法だし、それ自体としては問題ではない。それでも、税制にとっては課題となる。一部の人が、経済所得のたった1パーセントでしかない(いや10パーセントでも)申告所得に基づいて課税されるなら、その所得階層の税率を50パーセントにしても、 さらには98パーセントにしても何の意味もないことになる。問題は、先進国での実際の税制がこんなふうに機能しているということだ。富の階層トップでは、 実効税率(経済所得に対する比率で見たもの)は極度に低い。これは問題だ。というのもこれは富の格差をめぐる爆発的な動学を強めるものだからだ。巨額財産の収益率も高くなる場合にはなおさらだ。実際問題として税制はこの動学を緩和すべきであって、それを強めてはいけない>(550~551頁)

 資本家は、資本税の徴収に対して、当然、激しく抵抗する。

 それに対抗して資本税を強制的に徴収することができるのは、暴力装置を合法的に独占する国家だけだ。

 国家は抽象的な存在ではなく、官僚によって運営されている。ピケティが想像するような資本税の徴収が行われる状況では、国家と官僚による国民の支配が急速に強化される。ピケティは、国家や官僚を中立的な分配機能を果たすと見ている。この見方は甘い。

 蛇足になるが、リベラル派や左派で本書の『21世紀の資本』というタイトルに引き寄せられて、本書とマルクスの『資本論』を類比的に読もうとする人がいるが、それは不毛な試みと思う。

 マルクスの『資本論』によると賃金は生産の段階で資本家と労働者の力関係で決まる。利潤の分配は資本家間の問題だ。

 これに対してピケティは賃金を利潤の分配の問題と考える。この点でピケティの発想はマルクスとまったく異なる。以下の記述を読めば、ピケティがマルクスとは、まったく異質な発想をしていることがわかる。

 <限界生産性や、教育と技術の競争という理論の最も自につく不具合は、まずまちがいなく1980年以降の米国に見られる超高額労働所得の急増を説明できないことだ。この理論にしたがえば、この変化は技能重視の方向に技術が向かった結果として説明できるはずだ。米国の経済学者の中にはこの主張を受け入れる者もいて、最上位の労働所得が平均賃金よりも急速に上昇したのは、単に独自の技能と新技術によってこれら労働者が平均以上に生産性を上げたためだと考える。この説明には、何やら堂々巡りじみたものがある(なんといっても、どんな賃金階層の盗みであっても、何か勝手な政術変化を想定すればその結果として「説明」できてしまう)。そしてこの説明には他にも大きな弱点があり、それゆえ私にはかなり説得力に欠けた主張に思える。

 まず前章で示したように、米国における賃金格差の増大は、主に分布の一番上に位置する人々、つまりトップ1パ ーセント、あるいはさらに0・1パーセントに対する報酬の増加に起因する。トップ十分位全体を見ると、「9パーセント」の賃金は、平均的労働者よりも急速に増えているが、「1パーセント」ほどではないことがわかる。具体的には、年に10万ドルから20万ドル稼ぐ人々の賃金は、平均と比べて少ししか早く増加していないのに対し、年に50万ドル以上稼ぐ人々の報酬は爆発的に増加している(そして年に100万ドル以上稼ぐ人々の報酬はさらに急増している)。このトップ所得水準内でのはっきりとした断絶は、限界生産性理論にとっては問題になる。所得分配における各種グループの技能水準変化に着目すると、教育年数、教育機関の選択、あるいは職業経験といったどんな基準を使っても、「9パーセント」と「1パーセント」の間に何らかの断絶を見出すのはむずかしい。能力と生産性という「客観的」 評価に基づいた理論が正しいなら、現実に見られるようなきわめて差の大きい増え方ではなく、トップ十分位内でだいたい同じくらいの賃上げが見られるはずだし、そうでなくともその中でのサブグループ同士で、賃金上昇にたいした差はつかないはずなのだ。

 誤解しないでもらいたい。私はカッツとゴールディンが明らかにした、高等教育と訓練への投資の明確な重要性を否定しているわけではない。米国、そしてそれ以外の国でも、大学教育へのアクセスを拡大する政策は、長い目で見れば必要不可欠だしとても重要だ。しかしそのような政策の価値がいくら高くても、1980年以降の米国における最上位所得の急上昇に対しては、限定的な効果しか持たなかったようなのだ。

 要するに、ここ数十年間は二つのちがう現象が作用していたわけだ。まずひとつはゴールディンとカッツが示した、大卒と高卒以下の所得絡差の増大だ。これに加えて、トップ 1パーセントでは(そしてトップ0・1パーセントではさらに)報酬が急増した。これは大卒者、そして多くの場合その中でもエリート校で何年間も学び続けた人だけに見られる、きわめて固有の現象だ。量的には二つめの現象のほうが最初の現象よりも重要だ。特に前話で示したように、トップ百分位の儲けすぎによって、1970年代以降の米国国民所得におけるトップ十分位のシェア的大のほとんど(4分の3近く)を説明できるのだから。そのため、この現象について適切な説明を見つけることが重要になるが、どうもそこで注目すべきなのは教育的要素ではないらしい>(326~327頁)

 トップ0・1%、1・0%が得ているのは、賃金ではない。資本家としての利潤だ。

 マルクス経済学の視座から見るならば、資本家間の利潤の分配が不均等になっているということである。ピケティは、<要約すると、長い目で見て賃金を上げ賃金格差を減らす最善の方法は、教育と技術への投資だ。結局のところ、最低賃金と賃金体系によって賃金を5倍、10倍にするのは不可能だ。そのような水準の達成には、教育と技術が決定的な効力を持つ>(325~326頁)と強調する。

 ただし、米国のトップクラスの大学・大学院(1年の学費が500万円かかる)の出身者は、学生の時点で資本家の予備軍なのである。この人たちは、資本家として企業で働き、資本の利潤の中から分配を得るのである。

 これに対して、普通の大学教育を得た者を含む圧倒的大多数の労働者は、生産の段階で労働力商品の対価としての賃金を得るのだ。ピケティの分析では、労働者の賃金も資本家の利潤も共に分配論で処理されるので、資本主義の構造的問題がぼやけてしまう。 (2014年12月29日脱稿)

 

 

⓸ 暴走する資本の「強欲」と貧富の格差

 現代の積極的な投資家はピケティ氏の論理をはるかに超える収益率を得る

木代泰之

2014年09月03日

欧米のハイ・イールド債が富裕層に人気

  日本や世界の金融市場でイールド・ハンティング(利回り狩り)が過熱している。とりわけ低格付けで高利回りの社債である欧米のハイ・イールド債が富裕層や投資家の人気を集め、価格が上昇してバブルの様相を見せている。日米欧の金融緩和で市場にだぶつく資金がより高いイールド(利回り)を求めて流入している。

 

 ハイ・イールド債は格付けがBBやBという信用力が低い企業が発行する社債で、ジャンクボンドとも呼ばれる。高利回りだが高リスクの商品である。右のグラフは欧州企業が発行するハイ・イールド債の価格の変化を指数で示している。2008年のリーマンショックで40%ほど大暴落したものの、V字回復して上昇を続けている。

  欧州ハイ・イールド債の利回りはふつう5%程度だが、欧州の国債利回りは1.5%(指標値)なので、その差が3~4%ある。それだけでも高利回りだが、ハイ・イールド債に為替取引を組み込んだ金融商品にすると、利回りは年10~30%にもなる。

デジタル化の進化で可能に

 その仕組みはこうだ。まずハイ・イールド債の通貨(ユーロ)を高金利の新興国通貨(ブラジルレアル、トルコリラ、豪州ドル、南アフリカランドなど)に切り替えることで金利差を上乗せする。ブラジルレアルやトルコリラであれば10%が乗る。さらに為替取引による差益も加えて高リターン商品に変える。金融工学やデジタル化の進化がそれを可能にした。

  この種の金融商品は、米国のハイ・イールド債を含め、日本でも様々なタイプのものが主に投資信託として売られている。国内の金融商品は利回りがほとんど1%以下なので、不満を持つ投資家がこれらの投信に流れ、市場規模は急拡大している。

  いまフランスの経済学者トマ・ピケティ氏の著書「21世紀の資本」(日本版は年内出版予定)が注目を集めている。この本は米国、英国、フランス、日本など20か国以上の過去約200年間の統計をもとに、「資本収益率はつねに経済成長率を上回っていた」ことを実証している。

  資本収益率とは株や不動産に投資して得られる利回りのこと。同氏によると過去ずっと年5%前後あり、その富は再投資によって複利的に増えてきた。一方、経済成長率は1~2%であり、それに連動する労働賃金で生活する人々の富はあまり増えない。「その差が長年蓄積して貧富の格差を広げてきた」とピケティ氏は言う。

 

ピケティ論理を超える収益率

  しかし、ハイ・イールド債の例でわかるように、現代の積極的な投資家はピケティ氏の論理をはるかに超える収益率を得ることができる。

  気になるのは仕組みが複雑なせいか、投資家のリスク認識が甘くなりがちなことだ。ハイ・イールド債の価格が暴落したり新興国通貨が安くなったりすれば、投資信託の価格は大きく下がる。リーマンショックでは発行企業の破たん危機が高まり、ハイ・イールド債が売り浴びせられた事実はもう忘れられている。

 リスクを避けるにはハイ・イールド債の仕組みを知り、新興国通貨の為替の動きに目を配らなければならない。とくに新興国通貨の変動幅は大きいので要注意だが、多くの投資家は利回りの高さだけに目がくらんでいるように見える。

 世界経済はいま米国が回復基調にあるので安心感があるが、混迷する中東情勢や中国の不動産バブル、欧州経済の低迷などのリスクがあり、今後、投資家が大損害を出す可能性は否定できない。

 ともあれ金融のグローバル化によって、日本でも国境を越えて投資できる高利回り商品があふれるようになった。政府・日銀が金融緩和を続けても、余剰資金は国内の設備投資や消費拡大にはあまり向かわず、一部は投信を通じて海外に流れ出し、円安の一因になっている。

 

日本でも急速に広がる格差

 日本はこれまで貧富の格差が比較的小さいとされてきた。しかし今や個人資金が海外の高利回り商品に当然のごとく向かう時代だ。資金力や知識があって専門家のアドバイスを受けられる階層と、そうした資金余裕のない階層の富の格差は、ピケティ氏の分析を上回るスピードで広がるだろう。

ホームレスの人たちの自立を支援する施設。路上で暮らす人たちが集まり、シャワーを浴びたり、テレビを見たりしていた=東京都三鷹市

 米国となると、貧富の格差は日本など問題にならないぐらい深刻だ。「上位1%の富裕層が所有する資産の割合は全米の35%にも達する」という論文もある。貧富は二極化し、社会の良識を支えてきた中産階級が消えつつある。

 その背景にあるのは資産運用の蓄積だけではない。富裕層に属する企業経営者たちの飽くなき個人利益追求の結果も一因だと筆者は考えている。

  たとえば2000年代に航空不況に陥ったアメリカン航空の例。経営陣は従業員に340億円分の賃金削減を要請した。会社がつぶれると不況下では他の航空会社に採用してもらえる可能性はないので、従業員側はこれを受けた。すると経営陣は200億円のボーナスを受け取ったのである。

  会社にとって経費である従業員の給与を大幅カットした経営陣は会社の価値を上げて株主に貢献した。だからボーナスをもらうのは当然という理屈だ。

 

資本主義の合法的「強欲」

  米国で活動するベンチャーキャピタリストである原丈人氏の著書「増補21世紀の国富論」には、業績が悪化した企業を渡り歩いて一儲けする「CEOゴロ」の話が出てくる。彼らはCEOに就任するや必要以上のリストラをし、株価が下がったところで経営陣にストックオプションを付与。2~3年後に利益が出て株価が上がったら行使して巨額の利益を手にする人々である。

  他にも、リーマンショックの原因になったサブプライム・ローンの金融商品を世界中にばら撒きながら、その後も巨額報酬を手にし続けている金融機関トップの例など、米国資本主義の合法的な「強欲」はつきることがない。

  ピケティ氏によれば、19世紀末から第一次大戦前までは貧富の格差が非常に大きかったが、20世紀半ばに格差が一時的に縮まった。それは2度の世界大戦で多くの資産が破壊されたことが影響しているという。

  現代の格差は第一次大戦前の水準に近づいているという。もし、今のペースで拡大していけば、格差縮小の手段を何一つ持たず、展望も描けない階層が世界中で増大し、やがて騒乱やテロや果ては戦争による資産破壊への願望がマグマのように高まってくるのは確実だ。

  21世紀、我々は大変な時代に突入していることを知っておくべきだろう。

 

⓹ ピケティ本『21世紀の資本』は、この図11枚で理解できる

髙橋 洋一経済学者嘉悦大学教授

トマ・ピケティの『21世紀の資本』が好評である。筆者は、kindle版の英語版を読んだが、山形浩生さんらの丁寧な日本語訳もある。ネットの上でpdf版を探せばある。この年末年始の休みに読むにはちょうどいい本だ。

『21世紀の資本』は反成長でも反インフレでもない

kindle版やpdf版で便利なのは、資料リンクhttp://piketty.pse.ens.fr/en/capital21c2)を参照できることだ。そこには、本書に使われている図表が250枚以上もある。

本書は、分厚い学術書であるが、そのタイトルから、マルクスの資本論の再来を彷彿させる。しかし、ピケティ自身がいうとおり、本書はマルクス経済学ではなく、標準的な成長理論を使った、ごくふつうの経済学である。

本書は、政策提言を除けば、反成長でも反インフレでもなく、政治的な左も右もない。もし本書を政策提言のみを強調したりして、政治的な左の宣伝として引用していたら、あまり本書を読んでいないといえよう。

ただ、経済学といっても、データ満載の歴史書でもある。筆者は、歴史が好きであるが、従来の歴史書はデータが乏しく不満だった。ところが、本書は数量歴史書とも言うべき本であり、記述がデータに裏打ちされており、満足感が多い。かつて、Hargreavesの”The national debt”を読んで、データの豊富さに感動したが、欧米の歴史書でたびたび味わう感動だ。

本書のデータをよく見ると、資本主義は終わりだという、水野和夫氏の「資本主義の終焉と歴史の危機」が薄っぺらい資本主義批判の本に見えて、つまらなくなる。

水野氏は、100年デフレが続くとかいっていたが、アベノミクスでその主張は的外れだったことが示されている。資本主義が終わるというのは、利子率がゼロになっているということであるが、本書のデータでは、資本収益率は4~5%なので、資本主義は終わらない。

本コラムは、本書を読むにあたり、筆者が重要と思う表を11枚あげて、本書の概略がわかるようにしたものだ。

以下省略

 

 

⑥ ピケティを読まないで「格差社会」を指弾する日本人

2015年02月05日(木)18時12分、出典:http://www.newsweekjapan.jp/column/ikeda/2015/02/post-907.php

池田信夫氏によるニューズウィークのコラム記事・エコノMIX異論正論より

全世界で150万部売れたベストセラー『21世紀の資本』の著者、トマ・ピケティ氏(パリ経済学院教授)が先週、来日した。日本でも13万部も売れ、私の『日本人のためのピケティ入門』も9万部売れた。日本語訳は、728ページで5940円。内容も決して読みやすいとはいえない本が、こんなに売れたのはなぜだろうか。

 一つの原因は「格差が広がった」という不安だろう。これに便乗して「資本主義が格差を拡大する」という人々は、彼の本を読んだのだろうか。『21世紀の資本』には日本のことがほとんど書かれていないが、数少ないデータで見ても、次の図1(彼の本の図9-3)のように日本の所得格差はそれほど拡大していない。

(図1) アングロ・サクソン諸国と比較すると、1970 年代以降、大陸 ヨーロッパと日本ではトップ百分位のシェアがほとんど増加していない。 出所と時系列データ:http://piketty.pse.ens.fr/capital21c を参照。

 格差の原因として、ピケティは「資本収益率rが成長率gより大きい」という不等式を示しているが、日本の資本収益率は大きく低下し、長期金利は0.2%を割った。成長率も低いが、r>gで不平等がどんどん拡大する状況にはない。彼は資本/所得比率βが上がると格差が拡大するというが、これも1980年代の7倍から現在は6倍に下がり、資本分配率αも下がった。

 所得の極端な不平等化は主としてアメリカの現象であり、日本には当てはまらない。日本の格差の最大の原因は資本収益率でも資本畜積でもなく、以前の当コラムでも指摘したように、グローバル化である。

 ピケティもグローバル化が不平等化の原因になることは認めたが、まだその影響は大きくないという。確かにヨーロッパは域内で経済統合が進んでいるが、賃金格差がそれほど大きくないので、グローバル化の影響が賃金に出ない。これに対して日本は、隣に中国という巨大な低賃金国があるので、単純労働の賃金は中国に引っ張られて下がる。

 日本で行なわれた彼を中心とするシンポジウムでは、こういう中身についての質問はほとんど出ず、格差に関心が集中した。ピケティは「若い世代の低所得者の税率を下げ、トップの所得の税率を上げるべきだ」と提言したが、日本の上位所得者の不平等は上の図のように大きくない。

 格差を問うなら、日本の最大の問題は世代間格差である。ピケティは「世代間格差より階層間格差のほうが大きい」というが、これは今までの話である。日本のように公的年金などの社会保険の受給額と保険料の差が大きいと、今後の世代間格差は拡大する。

(図2)

 上の図2(出所は産業構造審議会)のように、現在世代に対する将来世代の生涯負担を比べると、他の国に比べて日本が突出して大きく、超過負担が169%にも達する。将来世代の負担は、今の高齢者に比べて1億円近く多い。この原因はピケティのいう資本主義の矛盾ではなく、社会保障のゆがみを是正しない政治の貧困である。

 日本経済の最大の問題は格差ではなく、みんな平等に貧しくなることだ。2014年の実質成長率はほぼゼロで、実質賃金は2.5%下がった。野党は「格差が拡大するから派遣労働を規制しろ」というが、規制を強化すると雇用が減るだけだ。安倍政権の「賃上げ要請」も、春闘に参加する大手企業の正社員の賃金だけを上げて非正社員との格差を拡大する。

 ピケティの主張とは逆に、日本には資本主義が足りないのだ。日本の株主資本利益率は上場企業の平均でも5%程度で、アメリカの1/3、ヨーロッパに比べても半分である。最近で格差が縮小したのは、小泉政権で成長率が上がった2000年代なかばだった。成長がすべてを解決するわけではないが、成長しないで格差を解決することはできないのだ。

 

 

読んだ気になることができましたか? 読んでみたくなりましたか? 私は、ずるして、最後に引用した記事の作者・池田信夫氏の東洋経済新報社からの「日本人のためのピケティ入門」で読んだことにしました。

 

3. 21世紀の不平等                                                  

出典:http://toyokeizai.net/articles/-/94894

ここでのご紹介は、『21世紀の資本』の著者ピケティの師でもあると言われているあるアンソニー・アトキンソン氏の著書21世紀の不平等』が2015年12月11日に刊行されたことです。2人の書を翻訳した訳者のひとりである山形浩生氏は、ピケティ『21世紀の資本』と本書『21世紀の不平等』の読みどころや日本人が本書から得られる示唆などを「訳者はしがき」で解説している。東洋経済オンラインでは「訳者はしがき」を、以下の通り、ほぼ全文掲載している。

 

不平等研究の長老アトキンソン

米国で5万部売れており、世界16カ国で刊行。著者アトキンソンによる不平等研究の集大成でもある。

本書の題名を見れば、格差・不平等の問題を扱って2014年に世界的な大流行となったトマ・ピケティ『21世紀の資本』(邦訳みすず書房)が当然ながら連想されるだろう。

本書が刊行されたのも、おそらくはこのピケティの大ヒットがあればこそだし、また本書の原型となったのも、ピケティの本に対してアトキンソンが発表した、不平等解消のための提言(本書で提案されているもの)の論文でもある。

著者アトキンソンについては、ピケティによる序文(『ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス』に2015年6月25日に発表された書評を転用したもの)に詳しい。不平等研究においては大長老であり、ピケティの師匠格と言ってもいい存在となる。2015年のノーベル経済学賞はアンガス・ディートンが受賞したが、一部ではアトキンソンも同時受賞するのではないかという下馬評も見られたほどだ。

ただし経済学者の中ではもちろん知らぬ者のない人物ながら、一般には決して名が売れているわけではない。そもそも格差・不平等研究自体がこれまではかなり地味な分野だったことは、本書の中でも述べられている。英語でも、著書は専門的なものが多く、必ずしも一般向けとは言えない。邦訳は『アトキンソン教授の福祉国家論』(晃洋書房)があるが、上下巻のうち下巻は結局出ないままとなったようだ。ピケティ『21世紀の資本』の功績は、この地味な格差論に注目を集め、アトキンソンがこのような一般向けの本を出せるようにしたという点にもある。

ピケティ『21世紀の資本』と本書

アンソニー・アトキンソンは、たびたびノーベル賞候補に名前の挙がる「格差研究のゴッドファーザー」。オックスフォード大学ナフィールドカレッジ元学長で、現在オックスフォード大学フェロー

ピケティ『21世紀の資本』の魅力は、ある意味で非常に大胆な単純化だった。格差の原因はr>g(資本収益率>経済成長率)というたった一つの式であらわされる。

そしてその解決策は、rを引き下げるため、資本にグローバル累進課税してr<gにしよう、というわけ。もちろん、よく読めばもう少し詳しい解説はあるし、そんな単純なものではないこともわかるのだが、600ページ超の本を「よく読む」人はなかなかいない。

そして、この単純な図式を浮き彫りにするため、他の原因や解決策についてかなり否定的な書き方になっている(ように読める)部分が多々ある。技術進歩や教育といった要因は軽い扱いとなり、対策としても累進課税の強化や再分配の強化といった標準的なものは、「グローバル累進課税よりは劣る」と、つれない扱いを受けている。

これはピケティに対する批判の一つの原因でもある。特にアメリカでは、技術進歩により不平等拡大が生じた、という見方が強い。それをあまり重視しないピケティの見方は一面的だとの批判があちこちで見られる。また対策についても、「グローバル累進資本課税? 無理! よってピケティなんかダメ!」という単細胞な反応を招く結果となっている。

本書は、ある意味でピケティ『21世紀の資本』に見られたそのような単純な図式をたしなめるものでもある。格差・不平等が拡大してきた原因は様々だ。多面的な現象なんだから、それを一つの原因だけに帰して、たった一つの解決策でそれが片付くかのような印象を与えるのは、あまり望ましくない。もっと多面的な見方が必要だ、とアトキンソンは告げる。

不平等への多面的な取り組み

その多面的な取り組みをいくつか挙げてみよう。累進課税が弱まったことで不平等が強まったのなら、それを復活させようじゃないか。資本所有の差が不平等につながるなら、資本をみんなにあげるような仕組みを考えようじゃないか。ピケティは、公的な資本所有がなくなったというのを問題視していた。

だったら、ソヴリン・ウェルス・ファンドのような公的資本所有を真面目にやろうじゃないか。格差があるんだから、貧困家庭を特に児童手当を通じて支援するような仕組みを創って底上げしようじゃないか。社会として、不平等を解決しようと思うのであれば、あらゆる面から取り組むべきじゃないか?

特に興味深いのは、一般にはどうしようもないと思われている技術進歩の方向にまで、格差を考えた取り組みをしようと提案している点だ。今後、技術発展により人間の労働者がどんどん不要になる、という議論がある。自動運転の導入で、運転手はすべて不要になる。人工知能の発達で、定型事務職は不要になる。ディープラーニングを通じて、これまで人間の知恵を必要としてきた各種の作業も自動化されてしまう、という議論だ。そして世間の多くの議論は、これが当然起こるものとしたうえで、その是非を考えてみたり、人間すべてに与えるベーシック・インカムの必要性を論じてみたりする。

確かにそうしたセーフティネットは重要だ。でもその前に、とアトキンソンは指摘する。技術は、自然に動くものじゃない。みんなが発展させようと思う方向に(ある程度は)発展する。なぜかといえば、技術発展というのは、ある程度は実際の経験値に応じて起こるものだからだ。だったら、政府調達などを通じて、技術の方向性も左右すべきだ。自動運転だと運転手がクビになるのでまずいと思うのであれば、政府は調達において、運転手がクビにならない、人間の役割を残した技術を優先的に調達すればいい。そうすれば、完全自動の技術に比べ、そうした有人技術のほうが経験値も高まる。よって、技術はそちらの方向に発展する!

おそらく、テクノロジストの多く(訳者も片足くらいはここに入る)は、このやり方の有効性を疑問視することだろう。その一方で、インターネットを含め政府の動きが技術の方向性を決めてきた面もある。こうした見すごされがちな視点をていねいに指摘してくれるのが、本書の魅力となる。また、日本では正規雇用/非正規雇用の問題が、不平等拡大の大きな要因として指摘される。それ自体はおそらく正しい。そしてこの対策としては、非正規雇用をなんとか正規雇用に押し込むべきだ、という主張が定番となる。基本的には、なるべく昔の状態に戻せ、というわけだ。

しかしその一方で、それがどこまで現実的か、というのはある。本来であれば、一般に非正規雇用と呼ばれるものは、労働者の側にも自由度を与えるものであり、一概に否定すべきものではなかったはずだ。もちろん、これはしばしば非正規雇用拡大によるコスト削減の口実に使われる議論ではあるため、警戒は必要だ。それでも、完全に昔通りに戻ることも、おそらくは考えにくい。そしてまた、非正規雇用が劣悪な状態となるのは、各種の社会保障制度が終身雇用を前提としたものとなっていて、非正規雇用を含む多様な働き方を無視しているせいでもある。

だからアトキンソンは、むしろ多様な働き方が登場しつつあるという現実をふまえて、社会保障制度のほうを変えようと主張する。多様な働き方でも、実際になんらかの形で社会参加して貢献していることを前提に、基本的な生活は保証できるようにしよう。そのために、参加型所得(PI)などの仕組みも本書では提案されている。これまた、非常に興味深い。

また手法面での提案もある。給付金の受給資格を審査するための資力調査や所得調査をやめて、児童手当などはとにかく児童のいる世帯全員に配り、課税対象にすることで金持ちからはそのまま所得税として回収すれば手間がはぶける、といった具合だ。

このように、本書の提案は実に多岐にわたるし、そのすべてが理論面だけでなく、ある程度の財源的な担保も持っている。そして、ありがちな批判に対しての反論も用意されている。21世紀の新しい労働環境に向けて社会保障制度を再構築し、福祉国家を立て直すための総合的な提案が本書となる。

日本への示唆のために

もちろん、この総合性が裏目に出る面はある。何かたった一つ、決定的な提案があるわけではない。あれもこれも、と提案されているために、全体的な印象がぼやけてしまうかもしれない。またこうした提案が、すべてイギリスを具体例として提示されているために、わかりにくい部分もある。読者の全員が既存のイギリスの社会保障制度に詳しいわけではない。その部分をこうしてああして、と言われてもピンとこない部分もあるだろう。これは、提案の具体性を増すためには仕方ないこととはいえ、本書の弱い部分ではある。

が、細かい政策提案の背景を考えれば、そのすべてはいまの日本(またはそれ以外)にとっても示唆的なものとなる。これまで指摘したように、技術の進歩による不平等にはどう対応すべきか? 非正規労働の増大にはどう対応すべきか? こうした問題に対する対応方針は、どれも日本にとっても有益だ。

そこに登場する問題はすべて、日本社会にも大きく作用しているものだからだ。個人的には特に本書で、社会保障制度の強化を、児童手当を中心に行うよう提言している部分は、日本にも重要だろう。日本は少子化が問題だと言いつつ、出産も子育ても支援体制は決してよくない。貧困児童の問題も大きい。子供手当と称してたまに提供されるものは、数万円というスズメの涙ほどの一回限り。本書で提案されているように、それを中心として社会保障給付を組み直すくらいの取り組みがないと、少子化は解決せず、結果として年金問題も生産性の問題も数十年単位で見ればジリ貧にならざるを得ないのではないだろうか。

もちろん、読者それぞれ重視したい点は違うだろう。でもどんな視点を採るにしても、本書には必ずそれに対応した分析と提言が含まれているはずだ。これが少しでも日本の将来的な社会保障と、不平等の改善につながることを期待したい。

 

以上がピケテイ旋風に関して、吾輩が集めていたネット上の情報のほんの一部ですが、一応トピックスの1テーマとして残しておきます。いずれにしても格差の拡大の問題は、21世紀の世界各国の最大の政治のテーマであり続けることは間違いないでしょう。

                                                                                                                                                                                                 以上

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