経産省若手プロジェクトチームによる制度改革の提言

経産省若手プロジェクトチームによる制度改革の提言

 

経産省の諮問機関で産業構造の改善や民間の経済活力の向上などに関する調査・審議を行う「産業構造審議会」の518日の会合に提出された。経産省の2030代の若手で作るプロジェクトチーム(PT)がまとめた全65ページの「不安な個人、立ちすくむ国家」と題したペーパー配布資料が話題を呼んでいる。役所の文書らしくない表現や内容が並ぶ資料が公表されると、じわじわとインターネット上で話題になった。

 文書は大きく(1)液状化する社会と不安な個人(2)政府は個人の人生の選択を支えられているか?(3)我々はどうすればいいか?の3章で構成。日本社会の現状と課題をPTの視点でストーリー化したものだ。

 

吾輩の読後感;

この文書を知ったのは、日経ビジネスによる、「シルバー民主主義の克服」をテーマにしたコラム(出典:http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/16/051000049/)でした。

 

当文書の最後の下りで書かれている通り、これだけ長い間指摘され続けているにもかかわらず、その対策の動きがあまりにも遅きに失していることは吾輩も残念ながら認めざるを得ません。この問題は、1つの役所の枠を超えたものであり、当プロジェクトチームの若者たちが指摘している通り、政治の問題、国民全体の問題であります。こんなに重要かつ優先的な問題があるのも関わらず、政府も議会も十分に対応かつ機能していないのではとの印象が強いのは、吾輩だけではありますまい。あまりにも問題が幅広く、かつ大きいがゆえに、簡単に舵がきれるものでないことは確かですが、先送りすればするほど対応がとりにくくなることも確かなのです。すべてに優しい政治なんてありえないことは誰もが承知しているはずなのですが・・・。

 

以下そのストーリーの概要です;

 

一.液状化する社会と不安な個人

 

かつて、人生には目指すべきモデルがあり、 自然と人生設計ができていた。 今は、何をやったら「合格」「100点」か分からない中で、 人生100年、自分の生き方を自分で決断しなければならない。 世の中は昔より豊かになり、日々の危険やリスクは減っているはずだが、 個人の不安・不満をこのまま放置すると、社会が不安定化しかねない 我々は、再び「権威」や「型」に頼って不安・不満を解消するのではなく、 「自由の中にも秩序があり、 個人が安心して挑戦できる新たな社会システム を創るための努力をはじめなければならないのではないか。

 

  人類がこれまで経験したことのない変化に直面し、 個人の生き方や価値観も 急速に変化しつつあるにもかかわらず、 日本の社会システムはちっとも変化できていない。 このことが人々の焦り、いら立ち、不安に 拍車をかけているのではないか。 なぜ日本は、大きな発想の転換や思い切った選択ができないままなのだろうか。

 

二.政府は個人の人生の選択を支えられているか?

1)個人の選択をゆがめている我が国の社会システム

 人類がこれまで経験したことのない変化に直面し、 個人の生き方や価値観も 急速に変化しつつあるにもかかわらず、 日本の社会システムはちっとも変化できていない。 このことが人々の焦り、いら立ち、不安に 拍車をかけているのではないか。 なぜ日本は、大きな発想の転換や思い切った選択が できないままなのだろうか。

 

     今の社会システムは、高度経済成長まっただ中の 1960年代の日本社会を前提につくられたもの。 それが定着した世代の人生と、現役世代の人生とを比較すると、

◯「結婚して、出産して、添い遂げる」という生き方をする人 ・・・1950年代生まれ:81%1980年代生まれ:58

○「正社員になり定年まで勤めあげる」という生き方をする人 ・・・1950年代生まれ:34%1980年代生まれ:27

「サラリーマンと専業主婦で定年後は年金暮らし」という 「昭和の人生すごろく」のコンプリート率は、既に大幅に下がっている。

 

今後は、人生100年、二毛作三毛作が当たり前 にも関わらず、「昭和の標準モデル」を前提に作られた制度と、 それを当然と思いがちな価値観が絡み合い、変革が進まない。 これが、多様な生き方をしようとする

個人の選択を歪めているのではないか。

 

例えば、 定年後、まだまだ働きたいのに、働く場所がない 人生の終末期に過ごす場所を、望み通り選べない ・・・手厚い年金や医療も、必ずしも高齢者を幸せにしていない 一方で、 ③母子家庭になると、半数以上は貧困に ④一度、非正規になると貧困から抜け出せず、子どもまでも ・・・社会のひずみの縮図のような弱者が生まれている また、 ⑤若者の社会貢献意識は高いのに、活躍できていない こんなもったいない状況を放置していいはずがない。

 

多くの人が健康で長生きする現代。 にもかかわらず、60歳半ばで 社会とのつながりが急速に失われる暮らし。 そんな暮らしを多くの人が望んでいるだろうか?

 

 

健康で長生きしたあとで人生最後の一ヶ月に、 莫大な費用をかけてありとあらゆる延命治療が行われる現在。

どんな人生の最期を迎えたいですか?

「終末期の自分」を、選択できていますか?

 

意欲、健康、経済状況など 高齢者が置かれた状況は様々。 にもかかかわらず、現在の社会システムは、ある年齢で 区切って一律に「高齢者=弱者」として扱い、 個人に十分な選択の機会が与えられていない。 高齢化が進む中、こうした考え方のまま 際限なく医療・介護・年金等にどんどん富をつぎ込むことに、 日本の社会はいつまで耐えられるのだろうか

 

その一方で、子ども・若者の貧困を食い止め、 連鎖を防ぐための政府の努力は十分か。 母子家庭の貧困、こどもの貧困を、 どこかで「自己責任」と断じていないか。 若者に十分な活躍の場を与えられているだろうか

 

高齢者は一律に弱者として手厚く保護する一方、 「子育ては親の責任」、「現役世代は自己責任」と突き放し、 意欲のある若者にも高齢者にも 活躍の「場」を提供できていない日本。 「未来の日本の豊かさを支える子供たちだけは、 社会全体で投資し、何としても支える。 「年齢にかかわらず、それぞれのやり方で社会に貢献する。」 と胸を張って言える方が、 将来に対する希望が持てるのではないか。

 

2)多様な人生に当てはまる共通目標を示すことができない政府

 みんなの人生にあてはまり みんなに共感してもらえる「共通の目標」を 政府が示すことは難しくなっている。

 

 社会の豊かさを追求することは重要だが、 合計値としてのGDP、平均値としての1人当たりGDP 増やしても、かつてほど個人の幸せにつながらない 幸せの尺度はひとつではなく、ましてや政府の決めることでもない。 それに気づいた一部の国では、 個人の幸福感や満足度をつぶさに観測しながら、 個人の選択を支え、不安を軽減するための柔軟な制度設計 リーダーシップを発揮しはじめているのではないか。

 

(3) 自分で操作しているつもりが誰かに操作されている?

  インターネットの普及により、情報の流れが 「権威から個人へ」ではなく双方向、多方向に。 インターネットは個人の選択肢を広げるのか? 自分で情報を選択しているつもりが、 実は誰かに操作されているとしたら?

 

  インターネットは個人の選択を支えるものだが、 個人の判断や行動が誰かに操作されるリスクも当然に内包する。 その結果、社会全体としての意思決定が 極端なものとなる可能性もある。

我々はそれに対して何ができるのか考える時期に来ているのではないか。

 

 

三. 我々はどうすればいいか?

  

  戦後、日本は、世界に誇れる社会保障制度の構築に成功し、公平性を維持した経済成長を実現。

しかし、本格的な少子高齢化が進むなか、過去に最適だった仕組みは明らかに現在に適応していない。

既に人々の価値観は変化しつつあるにもかかわらず、過去の仕組みに引きずられた

既得権や固定観念が改革を阻んでいる。

「シルバー民主主義」を背景に大胆な改革は困難と思い込み、誰もが本質的な課題から逃げているのではないか。

 

このままでは、いつか社会が立ちゆかなくなることは明らか。

若い世代には、そんな日本を見限って、 生活の場を海外に移す動きも出てきている。

従来の延長線上で個別制度を少しずつ手直しするのではなく、 今こそ、社会の仕組みを新しい価値観に基づいて 抜本的に組み替える時期に来ているのではないか。

①一律に年齢で「高齢者=弱者」とみなす社会保障をやめ、 働ける限り貢献する社会へ

②子どもや教育への投資を財政における最優先課題に

③「公」の課題を全て官が担うのではなく、意欲と能力ある個人が担い手に

(公共事業・サイバー空間対策など)

これにより、 個人の帰属・つながりを回復し、不確実でも明るい未来を実現する。

 

一律に年齢で「高齢者=弱者」とみなす社会保障をやめ、働ける限り貢献する社会へ

現在の社会保障制度は、65歳から年金の支給が可能になることや、医療の自己負担率の設計が年齢で異なっているなど、一定の年齢以上の高齢者を「弱者=支えられる側」とひとくくりにしている。

このことは、制度が本来意図しない形で高齢者の選択肢を狭めているのではないか。

社会保障制度は、年齢による一律の区分を廃止し、個人の意欲や健康状態、経済状況などに応じた負担と給付を行う制度に抜本的に組み替えていくべきではないか。

このことが、個人の生きがいや社会のつながりを増やすとともに、結果的に財政負担の軽減にもつながるのではないか。

 

子どもや教育への投資を財政における最優先課題に変化が激しく、特定の「成功モデル」もない現在。今の子供たちの約6割が、大学卒業時には今存在していない仕事に就くと言われている。

20年後には多くの大企業も存在しなくなっている可能性がある。

子どもから大人まで、自由を行使し変化を乗り越える力を身につけることで、誰もが思いきった挑戦ができ、不確実であっても明るい未来が作り出せる。

 

しかしながら、シルバー民主主義の下で 高齢者に関する予算は当然のように増額される一方、 教育の充実を図るためには新たな財源を見つける【負担増】か、その他の予算を削減する【給付減】しかないのが現状。

優先順位を逆転し、 子どもへのケアや教育を社会に対する投資と捉え、真っ先に必要な予算を確保するよう、財政のあり方を抜本的に見直すべきではないか。

その際、単に今の学校教育の予算を増やすのではなく、民間サービス、最先端テクノロジー、金融手法なども活用し、何をどう教育するかも含め、非連続な転換を図るべき。

 

「公」の課題を全て官が担うのではなく、意欲と能力ある個人が担い手にいつからか、「公は官が担うもの」という思い込みにより、

 ・住民は税金の対価として官からサービスを受けるもの(お客様)

・民間に任せるかどうかは官が判断するもの(民営化、規制緩和)

となった結果、官業が肥大し財政負担が増え続けるとともに、 「公」についての個人や地域の多様なニーズに応えられなくなっている

本来、「公」の課題こそ、多くの個人が生きがい、やりがいを感じられる仕事であり、潜在的な担い手は大勢いるはず。

新しいネットワーク技術を活用することによって、これまで以上に、多様な個人が「公」に参画しやすくなっているのではないか。

 

最後に;

 

8年後の2025年には、団塊の世代の大半が75歳を超えている。 それまでに高齢者が支えられる側から支える側へと 転換するような社会を作り上げる必要がある。

そこから逆算すると、この数年が勝負。 かつて、少子化を止めるためには、団塊ジュニアを 対象に効果的な少子化対策を行う必要があったが、 今や彼らはすでに40歳を超えており、対策が後手に回りつつある。 今回、高齢者が社会を支える側に回れるかは、日本が少子高齢化を克服できるかの最後のチャンス。

2度目の見逃し三振はもう許されない。    というのが、ストーリーの概要です。

                                                                                                             以 上

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